射手座のひとりごと

はばかりながら はばかる 虚言・妄言・独り言を少々たしなみます

大人になるということは

大学2年生の娘が成人を迎えた。
まあ特に問題もなく素直に育っているが、まだまだ子供だと思う。
そんな娘だが国民年金は払わなければならない。金は生まないのに金は掛かる。まあ致し方ない。

子供のころ、高校生は大人びて見えたし、大学生はもう大人だと思っていた。社会人にもなればもうオジサンやオバサンと一緒である。経済力もあり、何事も自分で決められ、社会の一員として恥ずかしくない生活をしているのだろうと考えていた。ミッキーマウスやキティちゃんは子供が愛好するものであった。

2022年4月1日から成人年齢が18歳に引き下げられるらしい。成人になれば親の親権に服さなくてよくなるし、賃貸契約やクレジットカード作成で親の同意がいらなくなる。
出来ることが増えるし権利も拡大するのだから、みんな賛成かと思えばそうでもない。

反対派は、契約でのトラブルが増えたり、クレジットカードを使いすぎてしまうなどと心配している。そして現在の消費者教育では不十分であるという。

しかしだ、今までだって消費者教育なんてなかったし、いい大人がマルチ商法に引っかかったり、クレジットカード破産をしてきたじゃないか。

いつの時代でも社会には一定数の悪しきものがある。そんなこと他者から教えられなくても自ら学べ。学ばないヤツは酷い目にあうかもしれない。それが世の中であり、それが分かるのが大人だ。

子供扱いして甘やかすと碌な事はない。成人したのなら大人扱いして「自己責任」を突きつければ良い。社会性や常識を身に付ける必要は自分で生み出しなさい。もう親の庇護はないのだ。

偉そうに言ってみたが、先日こんなことがあった。

スーパーマーケットに行ったのだが、マイバックを忘れてしまった。有料のレジ袋を購入しなければならない。
レジの店員に頼んでも良いが、レジ袋はレジの手前に束になって置いてあり、ここから客が取ることも出来る。店員に余計な手間をかけさせては申し訳ないので束から取ろうとした。これぞ大人の気遣いである。

しかしだ、指が乾燥していて上手く取れない。指先がパッサパサなのである。高校生の頃は手はベッタベタで、友達に借りたペンを返すとベッタベタで嫌がられたものである。1枚のレジ袋が上手く取れず、結局後ろの人を待たせた挙句、やっと取れたと思ったら2枚だった。店員が気づいて「1枚でいいんですよね」と言ってくれた。結局余計な手間を掛けさせてしまった。

大人になるということは手がパッサパサになることと見つけたり。
新成人のみなさん。安心して大丈夫です。こんな僕でもやってゆけますので。