戦争についてリアリティーを持って語ることは、長いこと日本においてはタブーだったと思う。
夏になると「あの戦争を忘れるな」とマスコミは連呼し、戦争物の特番が放送され、日本は酷い国だったと子供たちに刷り込む。
僕が子供の頃はそうだった。高校の歴史教諭は学校のカリキュラムを無視して旧日本軍の戦争犯罪の話ばかり。
「国を愛する」という言葉を使ったら右翼だと思われたし、今では信じられないが「国民」でさえあまり使われなかった。ましてや戦争について正面から語ってはならない、そういうリアリティーのない敗戦国マインドが支配していたのだ。
とはいえ、平和憲法によって日本は素晴らしい国になったのだ、と言われると誇らしかったものである。
当時は東西冷戦の時代で、そのうち核戦争が起き世界は滅ぶと警告されており、未来は暗かった。しかしどこかで日本は関係ないと思っていた。それは日本には平和憲法があるので、戦争に加担しないし、世界を動かす立場でもないし、他国に影響も与えることもないと考えていたからである。なんとも無責任な単独平和主義である。戦争に良いも悪いもなく、そんなの関係ねえという境地に至ったのはひとえに教育の賜物である。
時は過ぎ、日本でも観念的平和主義は力を失い、ウクライナ戦争に至り、戦争を正面から語り国防や軍備を論じることが増えてきた。大きな変化である。自衛隊のあり方や、憲法改正についての議論もタブーはなくなりつつあり、これは良い事である。
ただウクライナ問題が巻き起こした一過性の現象かもしれないとも思う。
保守系の評論家や専門家がそういった議論を主導しているのだが、ウクライナの抵抗を賞賛しロシアを批判するその立ち位置に、アメリカの影響を大いに感じ、どこか胡散臭いし、マスコミの無節操な乗っかり具合も気持ち悪い。
ウクライナ戦争は長期化が確定した。いずれ世論もゆり戻しがくるかもしれないし、先に手を出したロシアが悪いのだという言説は意外と脆いかもしれない。
「良い戦争も悪い戦争もなくどちらも悪いのだ」も思考停止かもしれないが、「先に手を出したほうが悪いのだ」も単純に過ぎる。どちらも小学校の学級会の議題のようで薄っぺらく感じる。
国家間の戦争はその都度その都度、様々な複雑な要因があるもので、そんなに簡単な話ではない。その辺の複雑な状況を研究するのが専門家に求められるし、ましてやプロパガンダに加担してはならないと思うのだ。