射手座の魂

はばかりながら はばかる 虚言・妄言・独り言を少々たしなみます

「戦争を語り継ぐ」より現在の戦争を聞きに行ったほうがいい

今年の終戦記念日は今までと空気が違ったと思う。

原因はウクライナ戦争である。
徹底抗戦の姿勢を崩さないゼレンスキー大統領率いるウクライナを支持するムーブメントが日本でも起きた。プーチンを悪としそれに抗う自衛戦争は正義となった。

自衛戦争すら悪とし、国として無防備を志向することはかえって戦争を招き寄せるという、歴史から学べば当然のことを今更ながら認識することになり、ある程度は戦争のできる国にならなければ未来は危ういと多くの人が考え始めた。

当然「あらゆる戦争に反対」を錦の御旗にしてきた左派は後退せざるを得ない。「戦争反対」や「自衛隊解体」などの主張はカルト化し分が悪くなってきた。

したがってメディアでは具体的な話を避け「戦争を語り継げ」の大合唱となる。
そして戦争を知る高齢者は少なくなり語り部の代替わりが必要となる。

テレビをつけると高校生や中学生に戦争体験者の話を聞かせ「戦争はいけないことだと思いました」などと言わせている。もはや夏の風物詩である。

77年前に終わった戦争を語り継ぐ高齢者は当時多くが子供だったわけで、戦後を生き抜く中で、語る内容にはある程度方向性がついてしまうと思う。
戦争中でも飢えることなく楽しく暮らしていた人だっているだろうし、軍隊経験も良かったと感じた人だっているはずだ。そういう声が聞こえないのは、悲惨な体験をした人を前にして、そうでなかった人は口をつぐむしかないからだ。

戦争を語り継ぐということは、戦争の悲惨さや愚かさを集中的にクローズアップすることになっている。そうなると賞賛されるウクライナの自衛戦争はどう考えるのか。

かつての戦争体験者から話を聞き分かったつもりで「語り継ぐ」より、現在行われている戦争から学んだほうが有益だし現実的ではないか。