トルストイの有名な小説のせいで「戦争」の反対語は「平和」だと思っている日本人のいかに多いことか。ボーっと生きてんじゃねえでやんすよ。
「戦争」は手段なのでその反対語は「話し合い」である。逆に状態を表す「平和」の反対語は「混乱」とか「混沌」になるだろう。
「戦争の反対は平和」というのは「タヌキの反対はキヌタ」じゃなかった、えーと「料理」の反対語を「おいしい」というようなものである……かな。
そして平和は掛け値なしに良いものである。そして戦争と平和を反対の概念とすれば、戦争は掛け値なしに「悪しきもの」となる。戦争は悪となり正義の戦争は存在しなくなる。するとゼレンスキーの戦争も悪とならないか。戦争と平和をペアにするとといろいろ矛盾が生じる。
現実的にも「戦争の反対は話し合い」である。戦争にだった正義や悪の側面がある。話し合いだって同じで平和的態度を偽装して悪意や嘘に満ちていることもある。どちらもただの手段に過ぎない。戦争ではなく「外交」で解決すべきだという主張もおかしい。戦争は究極の外交手段ではないか。
ウクライナでの戦争はエスカレートし続け、今のところ落とし所が見えない。
プーチンは攻撃を継続し核兵器をちらつかせながら話し合いの場を提案する。そしてゼレンスキーはそれを一切拒否して戦い続ける。実際の戦局がどうなっているのかは欧米やそれぞれの当事国の「報道」から知るのみである。
僕はどちらの味方もする気はない。英雄も独裁者もいらない。
ただ早く交渉の場を設けられれば救われる人命があるのにとは思う。それが大いなる悪意と欺瞞に満ちた場であってもだ。ゼレンスキーにすればロシアを相手に対等な交渉は望めない以上、当然戦うしかない。核兵器所有国と対等に話し合いなんで出来る訳が無い。
こうなったらNATOはウクライナに核兵器を提供すべきである。
なんなら口先だけでもいい。「我々NATOはウクライナに対してかつてない強力な兵器を供与する」と言えばいいだけだ。交渉開始のきっかけにはなるかもしれない。
プーチンが核を使用したら報復としてクレムリンを核で焼き尽くすぞというメッセージは有効であると思う。それがタヌキとキヌタの化かし合いであっても、先が見えない現状よりいいじゃないか。
仮にプーチンが狂人であるならばとっくに核を使用しているはずである。まだ使用していないところをみると十分に交渉の余地はあるだろう。
皮肉にも核兵器をちらつかせることでその抑止力を証明することになるのである。核を所有しても使わなければ問題はない。そもそも国連の常任理事国はみんな核兵器を持っているじゃないか。いまさらカマトトぶってもムダである。