射手座の魂

はばかりながら はばかる 虚言・妄言・独り言を少々たしなみます

「自閉症の君が教えてくれたこと」の衝撃

NHKで放送された「自閉症の君が教えてくれたこと」を見た。自閉症の作家東田直樹さんを追ったドキュメンタリーだ。重度の自閉症である東田さんは普段は人と会話ができないが、文字盤やパソコンを前にすると自分の意思が伝えられるという、極めて稀な力を持っている。そして書いたエッセイは世界30カ国で翻訳されている。

僕は自閉症についての知識はなく親戚に自閉症の人がいる程度だ。そして自閉症患者は脳に障害があり「感情がない」と思っていた。しかしドキュメンタリーを見て間違いだと分かり衝撃を受けた。東田さんは、思い通りに動かない体や、飛び飛びになる記憶、制御できず口にしてしまう言葉に悩み、客観的に自分を理解し、思慮を重ねたりしているのだ。

僕は自閉症の話を見聞きする時、その親の苦労ばかり思い、自閉症を発症している本人のことは考えなかった。感情がないのだから人間扱いしていなかったということだ。愚かな思い違いをしていたと情けなくなった。

東田さんは自身について「壊れたロボットを操縦しようと困っている人」と説明している。なんと的確な表現だろう。文字盤を前に1音1音絞り出すように発声し意思を伝える様は、まさに壊れたロボットを操縦桿を握りなんとか操縦するパイロットだ。

NHKが東田さんを扱ったドキュメンタリーを製作するのは2度目である。前回の制作フタッフだった男性が癌になり、つらい闘病を経て再発の心配と共に職場復帰した。その製作スタッフがインタビュアーとなり、自閉症と癌を対比させ、東出さんの心情を引き出そうとしたのだ。ところがうまくいかない。東出さんは制作スタッフを思いやりながらも、いつまでも番組が、作家として扱ってくれず自閉症ばかりに焦点を合わせることに不満があったのだ。病気とか障害を一括りにして、意味を見出そうとする安直なやり方に一撃を加えたその姿勢は作家そのものであり、まったく痛快であった。  

「障害者」と「健常者」や「不幸」と「幸福」などを分かったつもりで決めつけ勝手に分類してはいけないのだ。僕自身への反省も込めてそう思う。