「週刊SPA!」の記事「ヤレる女子大学生RANKING」を受け抗議の署名活動を行った女子大生グループが扶桑社編集部と話し合ったことがニュースになった。
女子大生グループは編集経緯や記事に対する疑問を問い紙面の改善要求をし、扶桑社からは「女性を物として扱う視点があったと反省する」という返答があったという。
終了後に取材を受けた女子大生グループは「追及が甘いという意見もあるかもしれない。ただ、私たちは廃刊にして問題を消して終わりにしたいのではない」と語り「今後のメディアの在り方を一緒に考えられるきっかけにしたい」と総括したという。これはニュースバラエティショーのテレビカメラや報道陣を引き連れ、扶桑社側も受け入れ態勢を整えた茶番劇である。
雑誌の廃刊までチラつかせる女子大生グループも恐ろしい。雑誌の廃刊でどれだけの人の生活に影響があるか考えたのだろうか。編集部には女性だっているのだ。
「ヤレる女子大学生RANKING」を作った編集部を擁護する必要はない。しかし女性を物扱いするものは世の中にあふれている。エロ記事を載せているスポーツ新聞や週刊誌はあり、しかも経営上は大手新聞社系列だったりする。テレビ番組やCMも商品としての美女を多用している。ミスコンテスト出場者や女子アナなんかも商品である。アニメ、漫画、写真集など数え切れないほど女性を商品にしている。
女性だけではなく男性に対しても「イケメン」「ブサイク」「ハゲ」「デブ」「キモオタ」などと物ののように外見だけで判断する。男性ポルノだってある。男女関係なく物として見ているのである。
もちろん節度はわきまえる必要はあるが、くだらなさを売りにする週刊誌に求めるのは野暮である。世の中そういうくだらないものも必要だと思う。清廉潔白なものだけでは息が詰まるしそもそも比較の対象がなくなる。
今回の女子大生らの行動は浅はかに見える。単純に弱い立場の女性が声を上げたからという理由で支持するというのは男女平等の観点からむしろ失礼である。このようなキャンペーンに利用されているとしたら気の毒だが女子大生はもう責任を負うべき大人であるから批判されてもしかたがない。しかしこのような茶番劇はありふれているからすぐに忘れ去られる。
さらに今回気になったのはフェミニズムのあり方である。
女子大生グループの怒りは「女性は貞淑で性に奔放であってはならない」という前時代的な価値観に基づいている。フェミニズムの歴史のなかでフリーセックスだの性の解放が叫ばれたがそれとは逆行している。むしろ女性解放から逆行しラディカルなようで古臭い保守に回帰しているのだ。これはある意味でフェミニズムの自殺である。なるほどサザエさんがなくならないわけだ。
そしてMeToo運動もそうであるが、主張すればするほど男性優位を明らかにし、自らの立場を低くしてしまう不毛な階級闘争になっている。性差や文化を無視して異性を攻撃することで、真の平等(そんなものが本当にあるのか分からないが)から離れていってしまう。結果として女性を差別しているのは女性のように思える。