射手座の魂

はばかりながら はばかる 虚言・妄言・独り言を少々たしなみます

「批判されなくていい作品なんてないからな」ヴァイオレット・エヴァーガーデンの感想

泣きました。まんまとやられました。
テレビで放送された「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」の「特別編集版」と「外伝 -永遠と自動手記人形-」を立て続けに観たのである。

文句はいっぱいある。
まずタイトルに「ヴ」が2つもあるってどうよ。特別感を出そうという意図をプンプン感じる。髪の毛の作画は書き込みすぎ。そして登場人物はみな白人なのに性格が「ザ・日本人」なのでなんかヘンだし、ファッションもどこかヘン。
あとお涙頂戴の各エピソードが非常に押し付けがましい。まさに感動させるために特化した作品だと思う。「泣くがよい」と高らかに宣言しているかのようなアニメである。

しかし、良いのですよ、はい。感動しました。穢れた大人であるわたくしにもこんなピュアな部分があるとは思わなんだ。「手紙」が繋ぐ王道の感動ストーリーである。

「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」は制作は京都アニメーションである。となればあの痛ましい放火殺人事件のことを思い出さないわけにはいかない。

この作品はあの悲劇と併せて語られることも多く、それによって評価を高めている部分もあるのだろうと思う。その反面おおっぴらに批判しにくい作品になっていると感じる。

手紙の代筆業を行うのは「ドール」と呼ばれる女性で、依頼主を「ご主人様」と言う。依頼主の元に出向き、その指示に従うメイドのような存在である。
時代設定としては日本で言えば大正時代くらいだろうか、女性が本格的に社会で活躍しだす前である。そしてその状況に女性たちが無自覚であるように見える。
ファンタジーにジェンダーを持ち込むことは野暮の極みであるが、その種の活動家には関係はずだ。いわゆるアニメ絵や広告写真すら標的にする人達である。

「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」は最近のジェンダー界隈からすれば格好の批判対象であったはずだが、そちら方面からの批判はない。
京都アニメーション放火殺人事件で無くなった方たちは、ジェンダー活動家が通常問題にするおおかたの人権問題と比べることもできないくらい、圧倒的で理不尽な暴力にむごたらしく殺されたのだ。そういう「圧倒的被害者」が全身全霊をかけ作った創作物を批判できるわけはない。

ネットのレビューを見ると「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」は評価が高い。そして批判する人も結構いる。それは普通のアニメファンである。京都アニメーションの事件は関係なく、ひとつの作品として言いたいことをあーだこーだと言っている。
いいことだと思う。創り手もそれを望んでいるだろう。
ジェンダー活動家もプロならば、どういうハレーションを起こそうが作品を批判すべきだ。状況をみて意見を引っ込めるくらいなら、そんな活動やめてしまえ。

「届けられなくていい手紙なんてないからな」ならば「批判されなくていい作品なんてないからな」でいいのである。それが礼儀であろうと思う。