射手座の魂

はばかりながら はばかる 虚言・妄言・独り言を少々たしなみます

多様性が地味化をもたらしているという話

電車に乗っていて気が付いたのだが、みんな服装が地味になっている。
オーソドックスで堅実なファッションが好まれ、女性のアクセサリーは控えめで、パンプスや高いヒールの靴も減りスニーカーばかり。

コロナ過で仕事後や学校帰りに遊んだりしなくなったので、お洒落をする必要がなくなったということもあるだろう。しかしポストコロナの時代になりかつての日常が戻っても、この「地味化」は変わらない気がする。

一昔前の女子高生は流行の発信基地であった。
一世を風靡したルーズソックス、たぶん黒人をリスペクトしていたと思われるガングロメイクなど、異様ともいえるファッションがあった。そのころに女子高生の親でなかったことは幸いである。そういえば風呂に入らない汚ギャルという生物すらいた。

その頃は変な人が多かった。
キャンディー・ミルキーさんとか。よく新宿で会ったなあ。そういえばヤンキーや不良も街中でよく見かけた。

サラリーマン、OL、女子高生、オカマ、ヤンキー、それぞれのカテゴリー分けがあり役割があったのだ。するとカテゴリー内で張り合い個性を出したくなる。
それが局地的で突き抜けた流行を生み時代を動かしてきたのだ。

そして今そのカテゴリーが否定されるようになった。
垣根をなくすことが良いとされ、多様性や個性を重視される。何にも捉われず好きなカッコしていいんだよ好きに生きて良いんだよと端から教わる。

するとファッションで武装してカテゴリー中で戦う必要がなくなり、「地味で保守的な生き方でいいのです、自分」という選択をする人が増えたわけだ。おまけにメディアが「日本はダメだ、貧乏だ」と連呼していれば地味化するのも当然である。
まあそれも多様性のひとつといえばそうかもしれない。

固定化した価値観を転換し個性や多様性の花を咲かせたいと願う勢力があるようだが、想定外の方向に進んでいるとしか考えられない。
そもそも、押し付けられ発揮させられる個性や多様性は偽物である。
つまるところ、スカートを履く男は増えないだろうなと思う。