射手座のひとりごと

はばかりながら はばかる 虚言・妄言・独り言を少々たしなみます

女性「蔑視」発言の問題点

森喜朗オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会会長が「女性を差別したとされる」発言の責任を取り辞任した。その後の人選も難航し混乱の極みである。

当然様々な意見が噴出している。昭和生まれの高齢者は老害だ。新会長は能力関係なく女性がいい。会長なんてやることない。いいや調整能力が必要だ。どっちだよ。

フェミミストはここぞとばかり戦闘を開始し保守が迎え撃つ。

新会長が男では変化を感じられないし、対外的なアピールのための女性登用も良いことではない。そして誰になろうと過去の発言をほじくり返され批判の対象になる。

いっそのことマツコ・デラックスでいいんじゃね。貫禄あるぜ。森さんに比べれば若いし。

相変わらずケシカランのはマスコミの伝え方である。「女性を差別したとされる」ってなんですか。最も大事なことは発言内容に差別があったのかなかったのかであり、そこを曖昧にする印象操作と言わねばならぬ。発言を全文伝えているメディアはほぼなく検証しづらくしている。よくよく調べると森発言は自身の意見を表明したものではなく、組織の一般論を言っている。ゆえの「したとされる」発言なんだな。

もう一点、メディアは「女性蔑視発言」とも表現している。これはさらに問題である。

「差別」は対外的に行われる問題行為であって、「蔑視」は個人の心の作用で、内心の自由に踏み込んでくるものである。内心女性を蔑視していても対外的に差別行為を行わなければ問題ないじゃないか。

僕も女性と真面目な話していても、内心では助平なことを考えていることがある。もちろん表には出さないので問題にはならない。それもダメですか?思想改造キャンプに送られますか?

今回の件は明確に差別発言かどうかビミョーなので「差別したとされる」といい、森元会長の内心の問題にすり替えたのである。気に食わない相手の思想改造をしたいのか。二重、三重に卑劣である。

残念なことに印象操作や思想解像を企ててもマスコミが今以上に信頼される時代は来ないだろう。