射手座の魂

はばかりながら はばかる 虚言・妄言・独り言を少々たしなみます

動物愛護ってなんでしょうね

最寄り駅への道の途中に野良猫がいる。住宅地と畑の境のあたり。
いつも2匹の猫がその辺をうろうろしている。近づくと逃げる。最近は野良猫とは言わず、地域猫と呼ぶらしい。餌などはどうしているのか分からないが、健康そうである。子供の頃はよく野良の犬猫がいたもんだが、もはや滅多にお目にかからない存在になっている。その猫の人間にこびず自立している様が好ましい。元はペットだったのかもしれないが。

犬猫は人間によって品種改良され多様な種類が作り出されてきた人工物に近いもので、特に日本においては管理が行き届いている。寒さに弱い犬は服を着るし、みんな屋内で人間様と同じ環境で過ごしている。驚くべきことに乳母車のようなものに乗せられ人力で運搬される犬すらいる。

犬猫の殺処分に反対する団体が犬猫を引き取り、里親を募集したり譲渡会を催したりしている。確かに殺しちゃかわいそうだ。

しかし犬猫を愛する人達は愛犬や愛猫に対して去勢手術や不妊手術をほどこすのである。当然犬猫の意見は聞いてはいない。

動物の愛護者を自認しつつ、生物としての本能である生殖行為を人間の都合で奪うのである。罪深い行為だと思う。しかも犬猫はそのことに無自覚かもしれないので垣根は低い。しかもオスの犬は去勢手術をするとおとなしくなるとか病気を防ぐためなどと勝手な理由をつけて。

ここに矛盾を感じないのは、犬猫は生き物ではなく工業製品のごときものだからである。

昨日仕事帰りに猫の死体を見た。傍らに発見者と思われる若い女性がおりどこかに電話をしていた。保険所か役所に猫の死体の処理をお願いしていたのだろう。猫は車にはねられたと思われ、道路わきで手足を伸ばして死んでいた。

それは野良猫を見かける場所の近くで、死んでいたのはあの猫の片割れだったかもしれない。だとすれば、可哀想ではあるが人間の都合で工業製品のように扱われる猫とどちらがしあわせだったのだろうかと考える。まったく詮無いことですが。