射手座の魂

はばかりながら はばかる 虚言・妄言・独り言を少々たしなみます

脱マスク?自己責任というNGワード

3月13日からマスクの使用が「個人の判断」となった。ただ満員電車や医療機関では着用を推奨するとしている。朝の通勤風景もさほど変わらない。電車内が空いていて喋らなければマスクはいらないがマスクをしない人はほぼいない。これぞ日本人といった感じである。

外国だったらコロナに勝ったとマスク外して大騒ぎであろう。ニホンジンハ、フシギデスネ。

マスコミは「脱マスク」と騒ぐが相変わらず大袈裟である。初めからマスク着用は「推奨」止まりで強制されてはいない。マスクをしなくても逮捕されることはなかった。商店や交通機関、公共施設などはそれぞれの責任において指針を出し、利用者にマスクや消毒をお願いしていたに過ぎない。緩くなっただけで本質は何も変わっていない。

マスク着用を強制することなんてできない。法改正が必要だし、憲法違反の人権問題になる可能性が高い。もし強制したら野党な左派は大反対しただろう。徴兵制への道だなどと主張したかもしれない。

PCR検査もワクチン接種も同様に強制されていない。つまるところ個人が自ら選び取ってきたのである。コンサートや演劇などのイベントの中止・延期も同様で自ら自粛したに過ぎない。

すべては自己責任だったのだ。こう書くと、市民に責任を押し付けるな、政府は無責任だと怒る手合いが左派に多い。

かつて左派は自立した市民を夢想し国家の権限を弱めたがっていた。当然か市民1人1人の引き受ける責任は増えるし、その覚悟はあったはずだ。しかし今「自己責任」は政府批判の飛び道具となり変節した。

政府を批判するばかりと言われないためにも、何割かでもいいから「自己責任」を引き受けたらどうか。