射手座の魂

はばかりながら はばかる 虚言・妄言・独り言を少々たしなみます

FacebookはMetaへ。コレジャナイ感……

Facebookはだいぶ前に短期間やっていた。

その頃はミクシィの全盛期で、後から出てきた舶来のFacebookはなんとなくクールでアカデミックな感じがあった。

Facebook上で80年代にかけて活躍した好きなミュージシャンと友達になれた。高校生のころそのミュージシャンの古いCDを探して中古店を回ったものである。過去作の感想を書き込んだらすぐに本人から返信がきた。雲の上の人とやり取りしているのである。SNSすげー、いい時代になったなーと思った。

しかし特定の政治家に対する批判が多かった。そこにぶら下がるフォロワーの言葉は単なる誹謗中傷や悪口ばかり。そういうのはスルーしていたのだが、あまりにも下品なコメントが溢れたときに「こういうのは美しくないですよ」と書き込んだ。

直ぐにミュージシャン本人から返信があった。

それは「あなたのような考えの人は削除します」というもの。「分かりました」と返信し、こちらから友達を削除した。

その後、そのミュージシャンのCDをすべて捨て、Facebook自体も退会した。

その経験があるのでSNSでは相互理解は無理だと思っている。

現在はTwitterとこのブログをやっている。どちらもコミュニケーションだとは思っていない。一方通行で独りよがりなツールであり、それでいいと思っている。

Twitter上ではハッシュタグ運動やツイデモなどが行われる。よって世の中を動かす力になり得るとする向きもあるが、先の選挙をみる限りそんな力はない。

いいねを押したりコメントを書き込んだりするのはノーリスクだしなんの覚悟もいらない。その雰囲気に合わせてスマホを操作しているだけである。

ツイッターは「辻斬り」ツールである。斬り捨てて斬り捨てられて、ハイおしまい。

Facebookは「Meta」に変わる。それまでのSNSから仮想世界へ事業を転換するようだがコレジャナイ感がすごい。

2009年の映画サマーウォーズの仮想世界OZは、公開当時はインターネットの未来を予見させる力があった気がする。しかし今だにインターネットは仮想世界にアバターになって没入するような形式にはなっていない。

細田監督は「竜とそばかすの姫」で仮想世界Uを描いている。ネタがないのかね。

そもそも SNSが「辻斬り」ツールになり、コミュニケーションが否定されつつある中で、アバターになって交流って、20年前の発想ではないか。任天堂は進んでたなあと思うのだ。

流行らせたいのは「サスティナブル」

気が付けば11月、驚くべきことにもう年末である。
まったく1年間何をしていたというのだろうか。
今年こそブレイクするぞと思っていたような気がするが、何でブレイクしようとしていたのか分からん。ブログを書き、ツイッターを眺め、寝る日々。そういえば仕事はしていたかもしれない。

「新語・流行語大賞」にノミネートされた言葉が発表された。新型コロナと東京オリンピックにちなんだ言葉ばかりである。実際は本当に流行した言葉ではなく、流行らせたくてテレビで連呼した言葉というのがふさわしい。
「13歳、真夏の大冒険」は生で聞いていたが、流行語大賞狙いが見え見えで聞いているこちらの頭が煮え煮えであった。

選挙があったばかりだが政治がらみの言葉がないのも不思議である。「立憲共産党」「Dappi」「夫婦別姓」などがないのはヘンな感じがする。「ハッピー米×」すらない。そういえば当選おめでとう。「ハッピー×山」。

個人的に流行させたい言葉は「サスティナブル(持続可能な)」である。
「SDGs」がノミネートされておりそこに含まれているが、あえて単独で使用したいのだ。使い方をいくつか考えてみた。

「3日も寝てないサスティナブルな俺だぜ」

「トイレで一本バナナのようなサスティナブル×××が出て爽快だわ」

「今夜の俺はサスティナブル。寝かせないぜ」

「みなぎる男の強さはサスティナブル!赤ひげ薬局の最終兵器ストロングミサイル」

「サスティナブルはげ」

「サスティナブル貧乏」

なかなか使い勝手のいい言葉ではないか。もしかするとブレイクするかも。すいません。サスティナブル下ネタ人間なので。

頭のいい人達がサスティナブルという言葉を使うときは、「持続可能な」という意味なのに「今のままではイカン」というニュアンスが入っている。なんかヘンだなあ。

そして、なんでもかんでも持続可能であればよいという訳でもない。
おかしなことを持続するのはやめましょうね。

 

我々はどこで道を間違えたのか。一億総働きバチへ

タイムマシンで未来に行くとセワシくんはいつもヒマそうだった気がする。
ドラえもんの話である。家事や労働はロボットがやってくれるから人間はヒマになる。その分学問や文化芸術活動などに専念できる。これがかつて夢見ていた未来像である。その未来を通り越した2021年の現在、予想とはずいぶん違う未来になってしまった。車は空を飛ばないし、満員電車は相変わらずである。そしてロボットすら身近にはいない。
ロボットと言えば、ペッパー君は役立たずであった。2年前に書いた過去記事を再掲載してみる。もったいないので。時事ネタなので少々古いのですが。

www.koketumarobitu.com

かつて労働は悪であった。労働から開放されることは人類の願いであり、科学はそれをかなえるべく発達するはずであった。
しかし今、労働は善になった。
進め一億火の玉だと働け働けの大号令である。
みんなで働いたら取り分は減るのだが、それについては不思議とだれも言わない。

障害者だって働かなくちゃならない。分身ロボットカフェというものがあり、障害者が働けるよう新しい環境を提供している。その意義は認めつつ、同じく2年前の過去記事を再掲載してみる。もったいないので。

www.koketumarobitu.com

考えてみれば、障害者は社会全体で支えるから無理して働かなくても良いというのが、本来目指していた理想の社会ではないのか。
確かに労働に生きがいを見出すことは良いことだし、怠けりゃいいというものでもない。ただ、働け働けとせかされ「生涯現役」を押し付けられている感じがするのである。得をするのは結局社会保険庁ではないのか。

多様性の観点からも疑問である。「ニートこそ人類の最終進化形態だ!」と言う人がいてもいいと思うのだが、まったくいない。

そんなことを言いながら僕も働かなくなったら終わりだなあと考えている。
うーんいいように使われてる?

 

 

「SDGs」は多様性を否定する新宗教か

朝から晩までSDGs、老いも若きもSDGs、テレビをつければSDGs。
もう十分堪能した気分である。最後のsが小文字なのもカッコつけているようでイヤ。

だいたい17も目標があるって欲張りすぎでしょ。
3つくらいにしないと覚えられないよ。「部屋」「Yシャツ」「私」でいいじゃん。

その17目標にこまかな169のターゲットがある。いくらなんでも多すぎだろう。しかも169ってなによ。170にすればキリがいいのに、ひとつ思い浮かばなかったに違いない。

その目標は、公明正大に清廉潔白にまったく正しい。そこが胡散臭い。
新しい宗教のようでなんとも不気味である。それを世界中で実践して世界を一色に染めたいのだろうか。多様性の全否定ではないか。

国や地域によってそれぞれ文化があり価値観も違う。それを塗りつぶしてきたのはグローバリズムであるが、SDGsはその総仕上げか。

メディアはSDGsの宣伝ばかりである。批判的な意見はメディアでは全く見聞きしない。学校における道徳教育すら賛否があるのだが、SDGsについては一切の異論も差し挟まず疑いもしない。これぞ大本営である。かつては戦争だって正しかったのだ。

正義を装う者は疑うべし。

 

京王線刺傷事件 常識的な犯罪者

京王線で事件である。
上りの特急の車内で、男が乗客の男性を刃物で刺し放火、他の乗客は逃げ、停車したあと窓から逃げ出す様子が撮影されテレビで放送された。生々しい映像である。刺された男性は重体だという。まったくお気の毒である。

容疑者はバッドマンの悪役ジョーカーの格好をしていたのだが、ハロウィンにちなんだものではなく私服であるという。しかし同じ格好をしてハロウィンで混雑する渋谷の交差点に出没しているので仮装であろう。

容疑者は逮捕されおとなしく取り調べに応じているという。

容疑者は「仕事を失って嫌になった。2人以上殺して死刑になりたかった」「ハロウィンなので人が沢山乗っていると思い電車を狙った」などと供述している。

容疑者はいたってまともである。発言に筋が通っている。
しかも「人を殺して死刑になりたかった」という言葉はこの手の犯罪者がいう典型的なテンプレである。かならずといっていいほどこの言葉を言い、そしてマスコミが広める。本当に死にたいわけではない。本当に死刑になりたければもっと殺しただろう。
この容疑者はマスコミの情報をきちんと吸収しているし、犯罪者としての常識をわきまえているといえる。

精神鑑定などせず粛々と厳罰に処せばよろしい。理想は本人のお望みどおり死刑にしてやればいいのだろうが、罪の重さを勘案するとそうはならないだろう。

ここで考えてしまうのは、本当に死刑を望んでいる犯罪者を死刑にする場合、罰にならないのではないかということである。これでは死刑が抑止力にならないのだ。
そして大量殺人事件などの場合、1人の犯罪者を死刑にしても、釣り合わないだろうとも思う。おまけに死刑も人権を尊重されて行われる。犯罪者としての人権はあるからだ。
もろもろの結果、死刑制度が抑止力になりにくくなっていやしないか。ならばどうすればいいか。

死刑より重い刑として「人権剥奪刑」を作ればいいと思う。
たとえば、手足を切り落として自殺できないようにした上で一生監獄に閉じ込めるのだ。絶対に死なないようにして世話はする。残酷でしょう。
しかし確実に犯罪の抑止力になる。

殺人事件においては殺された被害者の人権は消えてなくなり、犯罪者の人権のみが守られる。その道徳的矛盾も解消されやすくなる。

古代の刑罰にもそれなりに理があったということである。
仮に「人権剥奪刑」をつくるなら死刑を廃止してもいいと思う。当然死刑廃止論者も賛成してくれるだろう。

共闘したら共倒したでござる

衆院選が終わった。
「自民党は議席を減らす。野党共闘は一定の効果を見せ立憲民主党は議席を伸ばす。自民党が単独過半数を取れなければ岸田降ろしが始まる可能性もある」
というのが選挙前のマスコミの予想。
結果は予想に反し、自民党は議席は減らしたが単独過半数を獲得し立憲共産は議席減。なんともアチャーな状況である。願望を垂れ流していたと思われるマスコミは赤っ恥である。

自民党は甘利幹事長、石原伸晃元幹事長が小選挙区で落選した。しかし野党側も小沢一郎氏、辻本清美氏などの大物が落選したので、与野党問わず「世代交代」が進んだ感もある。甘利氏は幹事長職を辞することになったが、続けていたらマスコミのバッシングの対象になるので、交代する口実ができて岸田さんも内心ラッキーとほくそ笑んでいるに違いない。

甘利氏はどんどん頭が長くなっていないか?
URがどうしたとかより、そっちの方が気になってしかたがない。まるでコーンヘッズという映画に出てくる宇宙人のようだ。宇宙人に与党幹事長をやらせ続けるわけにも行かない。おそらくこの一連の流れは仕組まれたことだったのだ。

野党共闘は失敗した。
予想では、新型コロナは収束せず感染は減らないので選挙では政府与党のコロナ対策を徹底的に責めればよかったはずなのだ。
そのドサクサで野党共闘も受け入れられると思っていたのだろう。ところが選挙前にコロナが収束しちゃったのである。
夏にもオリンピックが原因でコロナの感染爆発が起きて医療崩壊を招き、日本は大混乱になるはずだったのに感染は増えずオリンピックやって良かったねとすらなってしまった。残念無念。
東京オリンピックに反対していた共産党は北京オリンピックにも反対するはずだから、中国大使館前で反対デモやってね。ブレずにがんばれ共産党。

立憲民主党と共産党が議席を減らし、自公はほぼ現状維持で維新が議席を伸ばしたわけで、これはリベラルの敗北で保守の勝利といえる。

比例で自民党に入れる若者が多かったという。これは個々の自民党の政治家は嫌だけど、政権は野党には任せられないということだろう。現実的である。

リベラル野党は若者から嫌われているのだ。
特に今回の選挙はジェンダーや多様性などの争点化を試みたが不発に終わった。運動にかかわるフェミニストやジェンダー推進社会学者などがSNSで炎上しているのを横目で見ている若者が関心を持つわけがない。

選挙後に野党支持者の嘆きがツイッターにあふれた。

命を大切にしない自民党を支持するなんて信じられない!
維新を支持する大阪人はおかしい!
選挙に行かない人は死を選ぶのか!
甘利さんはレミュラク星に帰れ!

ちょっと落ち着いたほうが良いんじゃないですかね。
ツイッターなんて受け狙いの小道具だしそんなもので世の中が変化したらまずいだろう。しかもトランプと同じ手法だし。

渋谷の交差点でハロウィンの仮装をした若者がインタビューに答えていた。
「選挙にいっても何も変らないから行ってもしょうがないと思う」
この若者の方が落ち着いているぞ。

仮に改革を連呼する野党が政権を取ったとしても世の中が劇的に変りはしない。
少子高齢化は止められないし、税金も原発もなくならない。差別はあり続けるだろうし、グレタさんは怒ったままだし、流行り病はあるし富士山はいつかは噴火する。パラダイスにもユートピアにもならない。ならばあえてのリスクはおかさず「現状維持」でいいんじゃないというのはひとつの考えだし、シニシズムではない。それを尊重するのも多様性のひとつだと思うのです。

ヨーロッパではMT車が主流?

今だにヨーロッパではMT車が多いという。

MT車の方が燃費が良いとされているのも理由のひとつらしい。長距離移動が多いのはアメリカも一緒だが、アメリカはガソリンの値段が安い。水と一緒と言われているくらいだ。AT車も燃費は向上しているが、新しい技術を信用しない保守的なヨーロッパ人はMT車を選ぶという。
AT車が新しいとされるなら、スマートフォンも持っていないだろうし、回っているのは地球の方だとも知らないだろう。

そして車は移動手段であって、寛ぐための応接間ではないという考えもあるらしい。したがって面倒でも苦にならないのだ。

ヨーロッパではじいさんもばあさんもMT車に乗って峠を攻めていると思うとなかなかカッコ良い。スーツ姿の女性が営業車に乗ってカッ飛ばしている姿に萌えるのと同じですかね。いいえちょっと違います。

日本ではMT車は絶滅危惧種になりつつある。僕の勘では95%がAT車である。調べるのが面倒なので勘である。でもおおむねそんなものでしょ。
AT限定免許を取得する人も増えているだろう。だってMT車なんて乗らないもんね。実際。

しかし待ってほしい。

もし天変地異や核戦争などが原因でマッドマックスのような荒廃した世界になったらどうなるかを考えなければならない。
水やガソリンを求めるためトゲのついた棍棒や鉄球のついた鎖を振り回し戦う世界である。車は貴重品となり快適さなどを求めるものではなくなる。ボロボロでも改造して命がけで乗らなければいけない。

そんな世界でサバイヴするときに「オートマしか乗れないんスよね自分」なんて言えるわけがない。

やはりMT車にも乗れないとヤバイよね日本人。A T車で溢れるこの国は危機意識がなさすぎる。と言いつつ車の運転は全くダメな私。僕が車を諦めたのではない。車が僕を諦めたのだ。いずれにしろ世紀末世界では生き残れないだろう。

できることは世界をマッドマックス化させないように選挙に行くことだけなのだ。

期日前投票に行ったら混んでた話

期日前投票に行った。日曜の午後だったので混雑していた。
受付で係の人から「20分待ちなんですが……」と申し訳なさそうに言われた。
大丈夫です。ヒマなので。あなたも日曜日に投票所の手伝いだなんてヒマなのですね。おお同士よ。

何でこんなに混んでいるのだろう。ディズニーランドでいえば魅惑のチキルームなみの人気であるといえる。はて選挙は流行っているのか?

コロナはいったん抑えられている感じではあるが、飲食店もイベントなども本格的に動き出し始めたばかりである。まだまだ日曜日でも家で過ごし、せいぜいが買い物に行く程度の外出で我慢するという人が多いだろう。そんな中選挙に行くことはちょうどいい暇つぶしになるだろう。

今回投票率は高いかもしれない。なにしろみんなヒマなのだ。
嗚呼ヒマなのは僕だけではないのだ。そう思うと列に並んでいる待ち時間も気分が良い。周りを見回し、やーい暇人めと心の中で叫んだ。

投票を終えると出口に腕章をした報道機関の調査員がおり、出てくる人に声をかけている。お、これが出口調査ってやつか。
初めて見る出口調査員は、腰も低く好印象であった。そりゃ粗暴なやつだったらだれも答えないわ。

もし声を掛けられてしつこく投票先を聞かれたらどうしよう。
調査員をしてこの男からはぜひ意見を聞かねばならないという賢人オーラが出ていたらどうしよう。やれやれ困っちゃうなー。
マスコミなんかに協力するものかとも思うし、意地を張らずに大人の対応をしてきちんと答えようかとも思う。

よし
「小選挙区はパレスチナ解放機構議長マフムード・アッバースに入れました、比例はエクストリーム怠け者の党にいれました」
と答えようと決断した。うん、面白い。すべっていない。そうして調査員に向って歩を進めたわけだが、隣にいたオバサンに声がかかり私スルーされました。

広告がしょぼい件

京王線に乗る。ドア脇に書籍の広告があった。その本のタイトルはこういうもの。

「貯金すらまともでできていませんが
この先ずっとお金に困らない方法を教えてください!」

著者は税理士のようで「YouTubeで解説!」とも書いてある。
貯金すらまともに出来ていない人が本を買うとも思えないので、YouTubeで済ますのではなかろうか。大丈夫か?出版業界。

よく見るとこの広告は京王グループの系列企業である啓文堂書店のものだ。
中吊り広告は京王線で行く高尾山の広告ばかり。
京王運輸なる会社の広告もあった。引越し、お部屋の整理、家財の生前整理などやってくれるそうだ。たのめば夜逃げも手伝ってくれそうだ。

電車内の半分は自社広告でもう半分は美容整形とか中古車買取業者の広告などが大半を占める。華やかなのは謎ポエム付きのマンションの広告くらいか。見ていてワクワクするような広告は減ったなあと思うのである。

ある意味スゲーと思ったのは怒涛の英語教育・みすず学苑の広告ぐらいか。

テレビラジオの広告も同様にしょぼくれている。

家電や自動車など製造業の広告が減り、その分をテレビ局の自社広告で埋めている。

新しいドラマが始まるときに出演俳優たちが、1日その局のあらゆる番組に出演し、番組の宣伝に努めることがある。おそらく俳優たちはそのドラマの出演にあたり、宣伝に協力すべしと契約しているのだろうから、その分の出演料はないと思われる。おつかれさま小栗旬。これこそ最悪にしょぼい広告のスタイルである。

広告なんぞただのチラシ紙と思われていた時代から、バブリーな巨大産業となった広告業界。以前はそれを仕切る電通などの広告代理店は闇の帝王のごときアンタッチャブルなものであった。それが今では不祥事を起こしたとか、業績が不振とか、普通に言われるようになった。大丈夫か?広告業界。

広告がインターネットに主軸を移しつつあるとの意見もある。しかし欲しい商品がはっきりしているときは、ネット広告のリンクをクリックしないなあ。
直接その商品を取り扱っている企業のホームページに行くか、通販サイトのレビューに行っちゃうでしょ。このブログも広告を載せているので複雑な気分っす。

広告という存在は、インターネットも含めてだんだんと単なる空気のようなものになってゆくのだろう思う。ただのチラシ紙のような存在に戻るわけだ。

 

落ちている1円玉は拾わないでしょ

マスコミが一斉に日本人の給料が上がらないと言い出した。
ニューヨークでは最低賃金が日本よりはるか高いという。その給料を捻出するため商店が値上げをしても理解が得られるらしい。
給料が高くてもラーメンが2000円以上するのである。インフレじゃん。ニューヨークでは家賃もバカ高い。したがって飲食店は高い家賃のためにも値上げせざるを得ない。
日本はデフレなので物価も安けりゃ給料も安い。生活の質はそんなに変らないのではないか。

そして日本では値上げはしにくい。「値上げは悪」と刷り込まれているからである。

よく選挙に女性が立候補すると、主婦目線を売りにして「家庭の主婦はスーパーを巡って一円でも安いものを求めるのだ」と演説し値上げは庶民を痛めつけるとよく言っていた。最近では、主婦目線なんていうと差別になるのでこの手合いはいなくなった。

しかしマスコミは、秋刀魚が高い、小麦粉が高い、ガソリンが高いと騒ぎ、いつも同じスーパーの店主や環八沿いのガソリンスタンドに話を聞きに行く。

デフレの原因はマスコミにもあるんじゃないの?

たしかに40年近く日本経済は成長していない気がする。子供のおこづかいの相場がずっと変っていないからだ。
成長していないのに高齢化で社会保障の負担は増えてゆく。それでじわじわと平均給料が下がってきたわけだ。

安月給の業界で働く者としては、だんだん平均給料が下がってきたので相対的に自分の給料が上がった気がしていい気分である。これでいいのか?いいのです。

某社会学者が「みんなで貧しくなろう」と言っている。あたいもそれでいいよ。

いくら苦しいといってもみんなスマホ持って、そこそこの生活をしているでしょ。
物乞いはいなくなったし、乞食はホームレスになり救済もある。
そして落ちている1円玉を拾う人はいない。本物の貧乏はとうの昔になくなったと思うのです。